武蔵一宮 氷川神社 ページの先頭
雅楽

氷川雅楽会

氷川雅楽会は昭和10年(1935)に発足し、氷川神社の祭典に奏楽を行う雅楽会です。4月5~7日の鎮花祭(ちんかさい)には「花しづめの舞」を奉奏し、4月9日の護国神社の例祭には「浦安(うらやす)の舞」を奉奏致します。
昭和61年に御在位60年を奉祝するとともに、雅楽会発足50周年を記念して演奏会を開催し、翌年からは観月雅楽演奏会として舞殿にて毎年秋に開催しております。入場は無料です。
神楽舞の「人長(にんちょう、にんじょう)の舞」に始まり、年により「浦安の舞」や「豊栄(とよさか)の舞」、管絃を数曲、「蘭陵王(らんりょうおう)」や「納曽利(なそり)」、「五常楽(ごしょうらく、ごじょうらく)」などの舞楽を組み合わせて演奏し、神苑の秋の一夜を幽玄で幻想的に包みます。


人長の舞

納曽利

五常楽

迦陵頻

「東遊」

「浦安の舞」

雅楽とは

雅楽とは日本に古くから伝わる神楽歌(かぐらうた)に、奈良時代に伝わった唐楽(とうがく。唐を経由した中国、インド、南ベトナムなどの音楽)や高麗楽(こまがく。朝鮮半島を経由した朝鮮、中国東北地方の音楽)が本となっています。神楽歌とは現在皇室で最も重要な儀式とされている御神楽(みかぐら)の儀に通じるもので、神社などで行われる里神楽(さとかぐら)とは違うものです。
701年に制定された大宝令により、雅楽を司る役所である雅楽寮(うたまいのつかさ)が設置され、継承する体制が整えられました。平安時代になると楽器楽曲の整理統合が行われ、それまで寺や神社の楽所に任されていた雅楽は貴族や上流社会の中に流行し、多くの楽曲も作曲作舞されました。平安時代後期以降になると、雅楽は平氏や源氏が信仰する神社でも行われましたが、主として京都御所に仕える京都楽所(きょうとがくそ)、春日大社や興福寺を主とする奈良の南都楽所(なんとがくそ)、大阪の四天王寺の天王寺楽所(てんのうじがくそ)の三か所を三方楽所(さんぽうがくそ)と呼び世襲により継承されました。
明治の御代の東京遷都に伴い、三方楽所の楽人の一部と江戸幕府にいた楽人の一部とで宮中に仕える事となり、現在の宮内庁の楽部の基となりました。
また、明治以降、雅楽は一般の者でも行ってよいとされ雅楽人口は現在非常に増えております。

このページの先頭へ

雅楽